「新月の願い」の本当の意味

新月の願いとは何か

月への願いと太陽への願いの違い。

占星術の天体の意味からすると月に願う事は、受け身な願いで 朝日など太陽への願いは主体的な願いと言えます。
太陽への願いが具体的で鮮明である方が叶い易いのとは逆に、 月への願いは、全てお任せします。成るがまま在るがままを 受け入れますという気持ちが大切です。 そのように全てお任せしますという背景には、私の願い(私の 幸せは、神様あなたが全てご存知です。)という。信頼が根底にある からで、とても信仰的なものだと考えられます。
只、 信仰と言っても宗派や教義と言った難しいものではなく、 もっと素朴な物です。

自己啓発や成功哲学、行動科学という分野で、願を叶える 目標を達成するためには、主体的な計画を立てて自ら努力・ 行動する事を大切にして、他力本願を否定します。
紙に書く、音に出して願いを唱える、自分以外の人に宣言する これらの行動は「太陽への願い」を言います。勿論それらを否定するつもりはありません。

占いの本などに書かれている。新月の願いのルールの内容は、 「月への願い」と「太陽への願い」が混在しています。 本来まったく正反対のスタンスで行われる「太陽への願い」と「月の願い」が新月の時に可能であるのは、新月が太陽と月が 同じ方向にあるので許されるのかもしれません。つまり意識と無意識の方向性が一致しているのでどんな方法でも願いが叶うのだと言えます。

月は占星術では母親の意味があります。人は赤ちゃんの 時には、自分の力は無く母親や周囲に全て委ね依存しています。 それでも生きたいという願いはかなえられます。
赤ちゃんが 成長すると自力で何かをやりたいと親離れしていきます。 つまり、月から太陽へと移行していきます。成長して自立していく過程で 全てをゆだねる生き方で願いを叶えるという消極的な生き方は否定され忘れられていきます。しかし、そういう願いの叶い方というのは無くなってしまうわけではないのです。無意識の中にしまい込まれて理解できなくなっているだけです。そして、単にラッキーだった、幸運だったと受け身的な願いが心の奥で働いていたことを忘れてしまいます。

月への願いはこういう時にこそ必要です

太陽への願いが、色々と条件を立てて、私はこういう行動をとるから、或いはこういう事はしないとか、これを我慢するので願いを叶えて下さい、と願う願い方は、それに成功するとどんどん勢いがついて次の成功を呼び込んで良い反面、失敗すると全てのことに対して無気力になってしまいます。あんなに頑張ったのに上手くいかなかった。これは神様なんていないのか自分自身がよっぽどダメ人間なのか、どちらにしてもこの先良くなることなんてあるわけがないと前よりもひどいことになってしまいます。

人は、不足している事とか、制限されている事には敏感に反応して、なんとかしなければと思いますが、恵まれていることに対しては無頓着になりがちです。
例えば、年の初めに家族の健康や安全を願って、無事に一年を過ごせたとしても、まるで当たり前の事のように感謝の気持ちも持たない事も多いのではないでしょうか。

感謝すべき事は、本当は周囲にあふれています。その無意識に起こっている日々の小さな幸せを感謝する事で、人は無条件で神に愛されている自分を自覚します。

何か条件をクリアーしたから叶えられた願いではなく、無条件に愛されて叶った願いは、病気や事故で心や体にダメージを負って、自信を無くして全ての事に無気力になってしまったような時にこそ、私たちの心の奥に浸み込んでいくでしょう。

意識したけど叶えられなかった夢や頑張ったけど叶わなかった願いがあっても、無意識に願った事は無条件で叶えられていたことを一つ一つ思い出し確認することが大切です。時期が来ればチャンスは誰にでもやってきます。それを信じて待つことも必要です。無理をせず諦めないで日々を感謝で過ごせば「幸せ」は必ずやって来ます。

朝が来ない夜はなく、月の見えない新月はやがて満月に照らされます。

毎日寝る前に、その日自分に訪れた小さな幸せを日記や手帳に書き留めていくとそれが大きな幸せへと導かれていきますよ。

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